地震 停電への備え

2011年3月11日 東日本大震災の経験から思う義足の利用者の備え

(1年後の2012/03/11作成)


簡単に「備え」について

2011年3月11日 東日本大震災の経験から思う義足の利用者の備え
震度6強の地震、断水、停電の経験から、義足利用者に特に関係しそうなところに絞って書きたいと思いましたが、特記する点は意外に少なく参考になる情報が少なくてすみません。

1)地震発生時
震度6強では健常者でも立っていられない。もし直下地震だったら構える間もなくドカンと来る。まずは机などの下に潜るなどしてとにかく自分の身を守る。机の下への避難はかなり有効だった。あなどるなかれ。
揺れが収まった後の行動は、行政や会社で出されているマニュアルに従う。
沿岸部にお住まいの方は津波を想定して、日ごろから避難場所までの「ルート」を考えておく。歩けるところに高台があれば良いが、無い時は、渋滞せず行ける高台、できればトイレがあるところまでの「ルート」を事前に考えておく。その一時避難のために、強いて厳選すればトレイットペーパーを車に載せておきたい(特に女性)。避難所に行けば何でもあると思ったら大間違い。
我々義足利用者は走れないので、自分なりの避難方法を考えておく必要がある。

就寝中に揺れたら、・・・なるようになれ。
事前の準備が大切。寝室では耐震対策をしっかりしておき、箪笥の下敷きにならないように今から準備しておく必要がある。
懐中電灯を身近に準備。

安否確認については、電話もメールもつながらない、交通手段は遮断、勤務時間中は会社が周辺の安全が確認できないと言って帰宅させてくれない、そんな理由で、どうせ家族の安否など分からないから慌てない。自分が生き残ることを優先。携帯の回線が生きていたら、ブログが一番確実にアクセスできる気がする。※その時はじゃみーの掲示板を活用ください。

2)復旧まで(部屋の中は足の踏み場がない状態。長期の断水、停電。)
残念ながら、健常者との力の差を実感。役立たず。凹む。部屋の片づけをするにしても、スピードが違う。努力はするにしても、甘えざるを得ない。
ちなみに、3日分の食料があると安心。炭水化物が欲しくなる。缶切り不要の缶詰があなどれない。一般的に備蓄すべきものについてはググってみよう。
断端の衛生で役立ったのが、手洗い用の除菌ジェル。これで義足をとった後の断端を拭くことができた。
最初の夜だけは義足を付けたまま寝た記憶があるが、余震の事よりもトイレのことなどを考えて付けていたと思われる。
トイレは風呂の水をバケツで汲んで流した。震災1年後の今でも、風呂を洗ったら、風呂桶に3分の1ぐらいの水はためておくようにしている。
備えを忘れがちなのがトイレだ。高層マンションに住んでいる方は、空きペットボトルに水をためてトイレやベランダに備蓄しておこう。給水車が来てくれたって持って上がれない。
田舎の街でも、あっという間に避難所は満杯になった。都会で同じことが起きたら、大変なことになるだろう。行政は今のうちから避難所の確保をしておくべきだと思う。

詳しい当時の様子

以下は、詳細です。自分用の記録も兼ねて書いたら、だらだらとした長文となってしまったので、気が向いた方だけ読んでください。

2011年3月11日 東日本大震災の記録

1)義足ユーザーに起きたこととは
@地震発生時(14:46、地震発生。震度6強の揺れ。)
会社が契約している地震速報が作動し、工場内に地震速報が流れたため、直前に送り出したお客様の安全を確保しようと、急いで事務所を出て追いかけたが、すでに車が出た後で間に合わず、お客様がいないことが確認できたその瞬間、揺れが来た。
アスファルトの道路の上に立っていたが、立っていられない。しかし、男が膝を付くなんてかっこ悪いから、ひたすら頑張る。
何十頭もの巨大な恐竜が走って近づいてくるようなダダダダダダという揺れ方。しかも長い。いつまで経っても終わらない、止まってくれない。かつて味わったことのない恐怖。
これは普通じゃない。耐えられず、道路標識にしがみつく。
プラントや事務所の建物が音を立てて、上下に揺れているように感じられる。
※揺れ始めてすぐに、会社の工場内PHSで自宅の子供に電話をかけたが、すでに交換機が止まっていたようでつながらない。
2、3回の揺れの後、いったん収まる。
プラントの蒸気配管が折れた。大量の蒸気が上に吹き上げている。映画を観てるよう。
工場内の空き地に全員集合。
小雨降る中、このまま約2時間待機させられた。義足の私も立ちっぱなし。
会社のマニュアルにより、帰路の安全が確認されないと帰せないという事情。
結果的に、海岸に沿って帰る人たちが津波に呑みこまれずに済んだ。
当初は会社が用意していたあらゆる通信機器が機能せず、情報が得られなかったから仕方がない。個人が持っていたワンセグ機能付きの携帯電話が唯一の情報源。
しかし、私の家は、津波なんて関係ない場所。5分で帰宅できる場所。高校3年の三男が一人で家にいる。もし、タンスの下敷きになっていたら一生後悔すると思い、近隣に住む社員だけでも帰宅させて欲しいと訴えるも聞き入れられず。
A帰宅
待機中、妊婦さんや、状況が分からず右往左往する関係会社のみなさんなどのケアをしていたので、一部の人たちが見ていた津波被害のことなど全然知らない状況で、帰宅することになってしまった。また、私は工場幹部ではないので、まさか工場の中がひどいことになっているということも知らずに、子供を心配して急いで帰宅。
裏道を通って帰宅。
なんと、地震発生後2時間なのに、がけ崩れが発生した道路に通行止めの標識が、すでに用意されていた。市役所皆さんの迅速な行動に後になって感心する。
道路のいたるところで、陥没、亀裂、マンホールの隆起が発生している。そんな様子を見ながら運転していても、当時は、事態の深刻さを全く認識できていなかった。
大地震の後は、道路や橋が損傷している事を想定して運転しなくてはいけないが、そんなことに気が回らなかった。
幸い、渋滞も事故もなく帰宅。
自宅に入る前に近所の奥様達が声を掛けてくれた。「××君、大丈夫ですよ」。
玄関に向かうと・・・三男が落ち着いて玄関でお茶を飲んでいた。

B自宅被害
ほぼすべてのものが棚から落ちていた。足の踏み場がない。
キッチン、ダイニングが一番困る。割れたガラスがとても厄介なのである。
玄関扉が曲がったらしく、三男がとび蹴りで開けることはできたが、しばらく閉まらなかった。
石膏ボードの壁にヒビ。8か所ぐらい。
屋外のブロック塀にヒビ割れ。玄関周辺のタイルが浮いてしまっている。
停電、断水。プロパンガスは無事。ガスコンロは使えた。
後日台所の流しの配管が抜けていていたことに気づく。床下が水だらけになり、その対応が大変だった。

C最初の夜
水、食糧は多少ある。寝室も無事。しかし、寝室までの廊下が本でいっぱいで近づけない。こりゃ、明日片づけるしかないな。
そこで、避難所となっている近くの小学校に行ってみた。一度ぐらい避難所生活を経験してみようと思ったが、すでに、もう満杯。体育館は被災して使えない!水も食糧も、底を尽きかけいていると言われたので、我々は遠慮することにした。
もう日が暮れていたが、懐中電灯で照らしながら、寝室までの通路を確保した。
若者の力はすごい!!!!
三男が活躍した。私の10倍速いスピードで片づけているではないか。
ネガティブ情報ですが、こういう時の義足ユーザーは、残念ながら非力である。
一段落したので、残っていたアンパンと飲み物を持って、車に入り、暖を取りながら、車のテレビでニュースを観た。携帯電話の充電も行った。
ニュースは見たものの、依然として、事の重大性が認識できてなかった。2、3日で元に戻る、ぐらいに思っていたに違いない。
当然風呂には入れない。
※実は初日は入れたのだ!地震直前に三男は風呂を沸かしていたのに言わなかったのだ。しかも、そういう訳で、きれいな水だった訳で、十分料理に使えたのに!、トイレにしか使わなかった。
最初の夜は、余震を考えて、義足は付けたままで寝るに限る。しかし、自分がどうしたかはっきり覚えてない。トイレを考えると付けて寝ていたと思われる。
初日からか、二日目からかは覚えてないが、義足を取った後は、除菌用手洗いジェルで断端を拭いて寝た。これを3月14日まで続けた。

D2日目(3月12日)
毎冬、私は慢性的に風邪をひいているので、2日目の朝もできるだけ寝た。
我が家の出足は遅かった。
給水車を待つ列がすでにできている!
でも、1日に4回ぐらい来るらしいとのことで、慌てず2回目に並ぶことにした。(今思うと、水の備蓄があったので、並ぶ必要はなかった)
2回目の給水に並ぶ。40分並んで、二人分で4リットルもらえた。
給水車を運転するのは市役所の職員さん。水道局の人ではない。また、その職員と一緒に給水しているのは、小学校の先生ではないか!!。1時間近く立ちっぱなしで作業をされていた。先生が避難所のお世話係になっているなんて。ご自宅が大変なことになっているのはみんな同じなのに。そんな先生達に対して、水がない!食料はまだか!トイレが汚い!など身勝手なことを言っていた市民がいたらしい。
さて、朝ごはん。何を食べたか覚えてない。残念。
お湯を作ることはできた。
最初のうちにやってたことは、冷蔵庫、冷凍庫の中身の処分。特に冷凍庫の中身から食べ始めた。
カップめんは最後まで取っておいたのである。
2日目のほとんどを、部屋の片付けにあてた気がする。
この時点でも、会社より自分の家の被害の方が大きいと思っていて、普段は地震が起きても呼び出されるメンバーには入ってないので、会社には顔を出さなかった。
2日目の時点では、スーパーは閉まっていた気がする。
ガソリンが無い!!4分の1を切っていた。これが痛かった。
ガソリンの節約のため、行動が制限されてしまった。
この日のトピックスといえば、
同じ市内に一人暮らしで住んでいる同僚の若手の安否確認に車で向かった。電気の来ない家に一人でいると気がおかしくなっているのではと心配した人からの要請メールが来たので見に行ったが、心配無用であった。しかし、給水車から水をもらってくるために必要な容器が無いから我が家にもう一つあったタンクを貸してあげた。また、とりあえず、夕飯は一緒に食べた。冷凍餃子と冷凍うなぎの豪華二本立て。


E3日目(3月13日(日))
この日も、一応、給水車に並ぶ。子供に部屋の片づけをさせておいて、私だけで並んだが、この日は、予想外に10Lぐらいもらえたので持ち帰るのに苦労した。重かった。
同僚と三男とで、スーパーに行ってみた。
主に、冷凍、冷蔵品を中心に駐車場で販売してくれていた。店舗内は天井が落ちていて入店無理。
同僚といっしょに会社の様子を見に行った。
復旧対策チームの打ち合わせがあったとのことだが、すでに撤収した後で、1名の社員と、守衛さんがいるだけであった。ここでおよその会社の被害状況を聞くことになるが、受電設備が復活すればなんとかなるのかと思っていた。
食事は一応、三食、食べてた気がするな。

F4日目(3月14日(月))
すでに記憶が無くなっている。
4日目トピックス
・電気が来た
・スーパーに行ってさらに食材を購入(やはり冷蔵品、冷凍品の在庫処分的販売)
・さらに片づけ
・そして、他県に住む友人が車で手伝いに来るとメールしてくれた。
ガソリンは手に入らない。運の良い人、だめもとで並んだ人、携帯電話で人脈を使えた人は、なんとか入手していた人もいたようだ。
原発が危ないことになっているとは少しは理解していたが、そんなことより、今日の食事のことを心配していた気がする。
あと、大学入学が決まっていた浪人生の長男と、高校3年生の三男の入学手続きができない状況に焦りが出てきた。入学説明が迫っているが都会に行く交通手段がない。
長男の入学金が払えないことが一番やばい。本人と預金通帳と手続き書類が揃わないと支払えない。なんじゃそれ。

G5日目(3月15日(火))
やはり子供たちの入学手続きができそうもない。
昨日メールをくれた友人に急いで連絡。「やっぱり来て!」
どたばたと、旅の準備を行った。とても慌てていた。
ご近所に備蓄品を分けたりもした。
なぜか常備薬をもらいに行きつけの病院にも行ってしまった(都会に行くのに)。
12時頃友人到着。カップヌードル味のライスを食べた。
13時頃出発。
街の様子がおかしい。人がいない。歩いている人はマスクをしてる。
埼玉の子供たちのアパートまで10時間ぐらいかかって到着。
都会に近づくにつれてコンビニの品揃えが充実していき、埼玉に入ると当たり前のように牛丼屋がやってることに感動。
しかしガソリンスタンドは休みか、渋滞。
友人の軽自動車は長距離を無給油で走破してしまった。ホンダの軽。
途中休憩はとったものの、10時間もの間、私と友人は延々としゃべり続けていた。話のネタが尽きない。後部座席で三男はずっと静かに乗っていたことにも驚き。平気な顔してた。
5日ぶりに風呂に入った。まともな食事にもありつけた。
友人の支援に大感謝である。

Hそれ以降
子供3人のために借りていたアパートで家族5人で生活をしばらく続ける。
子供の入学作業が円滑に進み、また、子供の食事の心配をしなくて良くなったが、すぐに地元に戻れなかったことが、精神的にきつかった。
ガソリンさえあれば、すぐに戻るつもりだった。
しかし、不慣れな土地で、ガソリンのあるスタンドを見つけることがなかなかできずにいたら、仕事の関係で、むしろアパートに残ってパソコンで仕事をした方がよいことになり、4月初旬までアパートに滞在して本社に出勤するなどしていた。
アパートに来ても、結構パソコンで仕事をしていたので、当時の様子を「楽しむ」余裕が無かった。暇だったから温泉行ったとか、読書していたとか言う人たちの、大変な時でも心に余裕を持てた人がうらやましい。
3月20日頃にようやくガソリンをゲット。支援物資をもって一度日帰りで地元に戻った。首都圏でも物資不足だったので、車がいっぱいになるまでの物資を確保できたわけではない。よくよく考えると、近所のほんの数件の人達にしか持っていけなかった。
そんなこんなで、後悔することは多々ある。そんな人は多いと思う。
アパートにいる間にテレビは見ていたはずだが良く覚えてない。「ACジャパン(旧公共広告機構)」のCMだけが記憶に残っている。あのCMはもう見たくない。

以上


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